三時起床。
今日は長年、考え続けていたことを実行する。
「山手線沿いに歩いて一周する」のだ。
シャワーを浴び、身の回りの用意をして、三時五〇分に家を出る。
最寄り駅まで三〇分かけて歩き、四時半の始発に乗り、池袋駅へ向かう。
四時五三分、池袋駅から出発。
今日は、山手線の外側の道を右回り、つまり時計回りで歩くというルールに決めた。基本ルールは、できるだけ山手線の内側には入らず、外側の道だけをたどって一周すること。もちろん、道を間違えたり、工事や行き止まりなどのやむを得ない理由で、一時的に山手線の内側に入ることはある。その場合でも、できるだけ早く外側の道に戻り、最終的には山手線の外側を一筆書きでたどったと言えるようなルートに復帰する。
まだ日は上がっていない。ビル群の向こうが白んでいる空に向かって歩いていく。やがて建物の隙間から朝日が昇るのが見えた。
このあたりの線路沿いは住宅地になっている。
五時半、大塚到着。
駅前の人はまばら、都電荒川線のホームは真っ暗で人の姿は見えない。
大塚駅は新大塚の図書館に赴くとき最寄り駅として使っていた。最近はその図書館に行くことがなくなったので寄ることは少なくなったが、駅前の理髪店は一〇年以上前から利用しており、いまでも時折入ることがある。
住宅地の隙間を縫って歩く。
五時四六分、巣鴨駅到着。
駅前はまだ静か。
ここは二〇年前、出会い喫茶の取材で入ったのが最初。取材で行くことは多いが、有名なとげぬき地蔵、高岩寺目的で行ったことはない。
六時、駒込駅到着。
駒込は一度も乗降したことがない。「どんな場所なのだろう」と周囲を見回したが、特に特徴のない駅前だった。
ここから田端駅へ向かう道が厄介だった。山手線の線路沿いには新幹線の高架と車庫が並んでいて、外側の道をそのまま進むことができない。
駒込駅から田端駅までの駅間距離は一・六キロしかない。けれど線路沿いに抜けられないため、大きく迂回する必要があり、結果的に一時間近くかけて移動することになった。
六時五八分、田端駅到着。
駅のすぐ横、山手線の内側に特徴的な高架橋がある。二年前に千駄木のギャラリーに向かうとき、通ったことがある。当時はナビのアプリの誘導だけで移動して田端という駅名だけしか確認していなかったが、今回歩いたことで初めてその位置関係を実感することができた。ここは、山手線の東北の果てだった。
駅周囲は中堅のビルが多い。更に歩いていくと、庶民的な飲食店が並ぶ駅前通りに出る。
七時一六分、西日暮里駅到着。
流石にこの時間、出勤、通学する人の行き来が目立って増えてきた。
この駅には一五年前、近所に住んでいた漫画家の友人に誘われて訪れたことがある。当時はまだ、近所に住む漫画家同士で会うような人間関係が僕にはあった。今の自分からすると、そんな密な付き合いはあまり考えられないが、もちろん、今では彼とも疎遠になっている。
七時二七分、日暮里駅到着。
西日暮里駅から五〇〇メートルほどの距離で、見えるぐらい近い。だが途中で踏切に邪魔されて一〇分以上かかってしまった。
この駅前は再開発で比較的新しい建物が多い。駅自体も新しい。乗り換え以外で利用したことがない。
まだ六駅しか歩いていないのに、スマホの電池残量が半分近くなくなってしまった。モバイルバッテリーで充電するため、駅前のファーストフード店「マクドナルド」に入る。ついでに朝食を注文する。
ところが、モバイルバッテリーを接続しても、いっこうに充電されない。
モバイルバッテリーを購入してから二年以上使っていなかったので、どうやら電池が放電しきって使えなくなったみたいだ。まだ全体の五分の一ぐらいしか歩いていないのに、スマホの電池残量はすでに半分。かなりまずい。
これ以降、スマホを気軽にルート検索のため使えなくなってしまった。写真撮影も制限しなければならない。立ち寄った証拠として駅前だけは撮影するが、それ以外の写真はできるだけ控えることにする。困ったものだ。
早くも気持ちが落ちてしまう。マクドナルドから出て、とぼとぼ歩く。
八時五分、鶯谷駅到着。
駅周辺はホテル街、いかがわしい店が多い。まだこんな街並みが残っていることが逆に新鮮。
ホテル街を出ると、中堅サイズのビルが増えてくる。店舗というよりオフィス系のテナントが多いようだ。
八時二六分、上野駅到着。
このあたりは比較的覚えている。
初めて上京したときも、ここから浅草まで歩いていった。
三〇年前、大学に入ったばかりの頃、四藝祭、京都市立芸術大学、金沢美術工芸大学、東京藝術大学、愛知県立芸術大学の四校の国公立芸術大学が開催していた交流イベントで、開催地が東京藝術大学、つまり上野の校舎だったこともあり、馴染みが深い。
つい先月も、東京藝術大学学内で知り合いが個展を開催していたので訪れた。
ただし上野アメ横商店街は、僕の今の年齢になってしまっては濃すぎて魅力的でない。
八時三六分、御徒町駅到着。
上野アメ横商店街に負けず劣らず、雑多な駅前の飲食店街。
二〇年以上前は行き来していたのだが、今は通ることが少なくなった。
それでも、あのときの記憶の残滓がうっすらと残っていて、振り返ると思い出のマンションがそこに佇立していた。
八時五〇分、秋葉原駅到着。
上京して一年後、漫画アシスタントで貯めたお金を手にして、パソコンを買いに行った。友だちに手伝ってもらって自作パソコンを作ったこともある。あの頃の信頼できる電気街の秋葉原は、もはやない。
駅前は再開発で真新しくなり、大量の外国人観光客が改札口から溢れ出ていた。
九時三分、神田駅到着。
オフィス街っぽい無機質な建物が増えていく。
山手線内側の書店街には行くことがあったが、こちら側には来たことがない。
疲れは特に感じないが、足の裏の痛みが徐々に増してくる。
九時二二分、東京駅到着。
駅前の再開発が進行中、至るところで建物が建設されている。
高速バスの停留所のある八重洲口は昔よく使ったものだが、新しくなってからこの時刻に通るのは初めて。駅名を伏せたらどこなのかわからないだろう。
時折、足の裏の痛みがズキン!と上まで届く。
暑くなってきた。バス停前のベンチで日焼け止めを塗る。
九時四五分、有楽町駅到着。
この時間はまだ多くの店が閉まっている。
銀座はギャラリーで訪れることが多い。一ヶ月前にもこの周辺を歩いたものだが、今はそれどころではないので、足早に通り過ぎる。
一〇時二分、新橋駅到着。
駅前の飲食店が、ぼちぼち開き始めた。
一五年前、個室ビデオ店の取材で訪れたのが一番最初の記憶。
一〇年前、ここで朝まで友達と飲んだあと漫画喫茶で休憩し、始発電車で空港へ移動したことがある。そのまま沖縄旅行をしたのだ。あの頃はまだ若かったのだな。今はそんな体力はない。
高層ビルが立ち並んだ大きな通りに信号は少なく、歩道橋で移動する。足の裏が痛くなってきて、昇り降りの階段が地味に堪える。
一〇時四二分、浜松町駅到着。
生まれて初めて東京を訪れたとき、浅草へ行く前日、この駅近くのカプセルホテルに泊まった。そして東京タワーに行って、観光地で売られている三角の旗「観光ペナント」を買った。あれは何だったのだろう。
駅と旧芝離宮恩賜庭園の間に道がなく、駅前も工事中で、大回りしなければならなかった。
頭上に汚れた古い架線があって、これは昔使われていた線路を撤去せずに残しているのかと思ったら、モノレールが行き来していた。僕は利用したことがないので、まだ現役で稼働していることに驚いた。子供の頃の思い描いた未来が古くなっている。
暫く歩くと建物がなくなり、自然公園めいた真新しい歩道が線路横に併設されている。贅沢な土地の使い方だ。
一一時二〇分、田町駅到着。
一五年前に仕事で編集者とこの田町駅で待ち合わせしたのだが、僕は間違えて山手線の田端駅前に向かってしまった。僕は平身低頭、編集者は怒っていた。しかし今思い出すと記憶があやふやになっている。ひょっとすると田端駅で待ち合わせして、間違って田町駅へ向かってしまったのかもしれない。そんなレベルではっきりしない。
駅前は新しく綺麗だったが、少し南へ向かうと団地が建ち並ぶ居住空間となっていた。長い川沿いの道を歩くと中途半端に行き止まり。都市計画がまだらになっていて「行政の金が尽きたのかな?」と思う。
一一時五四分、高輪ゲートウェイ駅到着。
到着、と言っても、実際に駅前まで行けたわけではない。
港区立芝浦中央公園の中から、遠くに見える駅舎を撮影しただけである。
高輪ゲートウェイ駅は、山手線の外側から歩いてくると、駅舎は見えているのに近づけない。あとで調べると、二〇二六年三月末から芝浦港南側からの歩行者ルートは切り替わっているらしい。しかし僕が歩いた時点では周囲はまだ工事中で、普通に歩いていて発見できる動線ではなかった。ナビアプリにも出てこない。どこかに仮設通路があったのかもしれないが、事前に自治体の案内を読んでいないとわからない通路は、都市の動線としてかなり弱い。駅が開業してから六年近く経って、ようやくこの状態なのだから、地域住民の利便性を第一に考えて作られた駅には見えない。そもそも山手線内側、駅の真横には昔からの住宅地があるわけではない。駅のために街があるというより、これから作る街のために駅を先に置いたのだろう。だから、僕の足には駅というより、再開発計画の中に置かれた記号のように見えた。
一二時一七分、品川駅到着。
暑い。駅前で座って、日焼け止めを塗り直す。紫外線で露出している顔が痛い。
ここ、品川から大崎駅へ向かう山手線沿い外側を、ナビゲーションを使わずに進むのは至難だ。川や施設や、山手線以外の線路に阻まれて、線路沿いの道を行ったり来たり。
疲れ切って、歩く速度が次第に遅くなる。足の裏が痛くなってくる。針のむしろの上を歩いているように痛い。このあたりから歩くことが苦痛以外の何物でもなくなる。
一三時一七分、大崎駅到着。
一〇年前、大阪から東京へ向かう高速バスに乗ったとき、この駅前の停留所で降りたことを覚えている。大崎駅に紐付けられた情報はそれ以外にない。
痛みを堪えながら駅前を横切り、次の駅へと向かう。
住宅地に入る。入り組んだ道をナビゲーションアプリを使わずに移動するのは困難。行き止まり、あるいは山手線内周に向かう踏切に出て、何度も引き返す。
途中、見覚えのある川沿いを歩く。二〇一九年の春、この近くのバンタンゲームアカデミーで行われたバレエクロッキー会に参加したとき、川沿いの桜が満開だったことを思い出す。足の裏が痛い。
一三時三六分、五反田駅到着。
お腹が減ってきたので、駅前のラーメン屋に入ろうとするが、チェーン店ばかりでどうも食指が動かない。
諦めて、続きを歩く。拷問みたいに足の裏が痛くなってきた。
一三時五四分、目黒駅到着。
一九九七年の大学院在学中、イベントに参加するため上京した。そのとき目黒寄生虫館でTシャツを購入した。それももはや三〇年前。駅前は再開発され、その頃の面影は影も形もない。
足を引きずり、住宅地を歩く。
一四時二九分、恵比寿駅到着。
恵比寿ガーデンプレイスを線路越しに見る。映画『カポーティ』を観に行ったのは二〇〇六年だから二〇年前。時間はあっという間に過ぎる。
AV女優を二〇〇九年にインタビューしたあと、ここで撮影した。それも変わらないぐらい昔。時間がどんどん流れていく。足の裏も痛い。
一五時九分、渋谷駅到着。
駅前の再開発が進行中で、南側から駅前を通り抜けて、北側へ抜けることが非常に困難。高架橋を昇ったり降りたり、行き止まりを引き返したり。工事のために建てられた塀が視界を遮り、どちらに向かったらいいのかもわからなくなる。もう何年工事を続けている? 一〇年前にこの近くの試写会に来たときも工事中だった。通り過ぎるだけで、体力を消耗する。
国立代々木競技場の横を通る。外国人が多数歩いている。何を見ようとしているのだろう。足の裏が痛くて、それどころではない。
一五時三一分、原宿駅到着。
ここから代々木に向かって明治神宮を歩く。
二五年前、付き合っていた女性が上京したとき、一緒にこの道を歩いた。木漏れ日と森の光景が美しいが、足の裏が痛い。
一五時五六分、代々木駅到着。
乗り換えで頻繁に利用する駅だが、それ以外の理由で下車することはほぼない。
記憶にあるのは、駅前にある「笑点」の林家木久蔵、今の木久扇のラーメン屋に取材に来たことぐらいだろうか。それももう一六年前。足の裏が痛い。
一六時一七分、新宿駅到着。
新宿は頻繁に利用するが、おもに南口だ。
今回、西口横を通過したのだが、工事で取り壊し中の駅舎が完全になくなっていた。人が行き来し、混み合っている。
僕が二〇年以上前から贔屓にしていたうどん屋に入ると、牛丼やカレーライスまで売るようになっていた。値段が往時の倍以上になっていた。営業時間が変わって、夕方の一六時半まで。一六時二〇分に入ったのだが、店内は真っ暗で、声をかけても店員が一人も出てこなかった。がっかりして出ていった。足を引きずりながら。
一六時四一分、新大久保駅到着。
駅前のアジア料理店前は賑わっていた。
気持ちに余裕があれば入るのだが、疲れ切って、そんな気力はない。足の裏が痛いからだ。
一七時一八分、高田馬場駅到着。
二〇年前、ここに住んでいた。
その頃に複数回訪れたことのある、お気に入りの駅前ラーメン屋に入った。当時は一時間並んだのだが、今日は店内に客が二人しかいなかった。そして当時売りだった細麺がそんなに細くなくなって、普通になっていた。座るとお尻が痛い。
食べ終わって、歩き出すと足の裏が痛かった。
一七時三九分、目白駅到着。
もう夕方。予定では一六時前には山手線一周を終えているはずなのに、まだ終わらない。
このあたりではもう「早く終われ!」としか考えていない。
一刻も早く終わらせたいのに、足の裏が痛く、住宅地をノロノロと移動している。
一七時五四分、池袋駅到着。
ようやくゴールの池袋に到着。
特に余韻に浸る間もなく、すぐに電車に乗り自宅へ向かう。
座っていないのに、歩くとき擦れていたからか、お尻まで痛い。全身が痛い。
山手線外周を一周。
ナビアプリがなかったので遠回りして山手線自体は四〇キロ程度なのに、五〇キロ近く歩くことになってしまった。
内周も続けてやろうと思ったが、あまりにつらいので延期することにした。
体重をあと一〇キロ減らさないと無理だ。この距離を走るマラソン選手のことを想像できない。僕は歩いて一三時間かかったということだ。
一八時四六分帰宅。
あまりにも疲れたので、シャワーを浴びてから布団に潜り込む。
二〇時三〇分就寝。
歩いた街の光景が、眠りに落ちる直前、瞼の裏で流れ続けていた。